観世音菩薩とか、観自在菩薩というのが正しく、それは、人々の救いを求める音「声」に応じてすぐに救うとか、自由自在に人々を救うもの、という意味をもつ。この世でのあらゆる不幸から我々を守り、幸福を授けてくれる慈悲深い仏さまのことである。
人々の願いに応じて、いろいろな姿になってあらわれるので、そのあらわれ方の代表的なものとしての六つの観音さまのことをいう。
救いを求める人々の願いに応じて千変万化する。その変化する前の観音さま。観音のもととも言える。最も正しく、最も代表的な観音さまである。普通は一面二臂(頭が一つで腕が二本)のやさしい顔をした単純なお姿をしている。
すべての願いに応えるために、たくさんの手「ふつう十六本、四十本、四十二本」を持っている観音さまである。
どちらの方角にいる人が救いを求めても応えられるようにと、十一の顔を持っている観音さまである。
馬に乗って四方の敵を蹴散らすように、馬が牧草を食べ尽くすように悩みや苦しみから我々を救ってくれる観音さま。頭上に馬の頭をのせたお姿をしている。
輪のようにどこまでも転がって行って、思い通り(如意)に人々の願いをかなえてくれる観音さま。普通六臂(六本の腕)の坐像のお姿をしている。
「准胝とは、何物にも染まらない清浄」という意味をもっている。この清らかな観音さま、胎蔵界においては蓮華部の仏母にあたり、その施す徳は、はてしなく広く、つまり人間界の善悪を問わず、すがればお救いくださるという。
観世音菩薩とか、観自在菩薩というのが正しく、それは、人々の救いを求める音「声」に応じてすぐに救うとか、自由自在に人々を救うもの、という意味をもつ。この世でのあらゆる不幸から我々を守り、幸福を授けてくれる慈悲深い仏さまのことである。
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