このページの先頭です。

戦後の経済成長がもたらせたヒズミは、精神的なよりどころの欠如をまねき、迷いや、悩みを倍加させ、人間性を失わせる結果ともなりました。
そこで諸大徳、篤信者、有志諸家の強い要望もあり、観音さまのご霊験を授かり、説法を感授していただくために、観音三十三ヵ所霊場が、昭和五十二年十月、弘法大師御生誕の地に復興しました。
今から四百七十年ほど昔、西国観音霊場があった頃、讃岐にも観音三十三霊場が開創され、以来巡拝も盛んであったようですが、明治に入り廃仏棄釈などで、すたれました。
この観音霊場はお大師さまがご教示された法華釈経や、観音経をよりどころとしています。お経によると、観音さまは今我々が住んでいるこの世界に、いつでも、どこでも私達の前に姿を現わし、一心にお願いすれば意志が通じ、感情が合致して、縁がととのえば、観音さまは三十三身に化身(姿を変える)して説法くださると、書かれています。この観音さまを応現身といいます。
讃岐三十三ヵ所霊場には、応現身の観音さまをおまつりしています。病気や悩みごと争いごとなど困った人々に、よき指導者、助言者に姿を変えて説法して下さるのです。「悲しいこと。つらいこと。困ったこと。苦しいことあらば、いつでも、どこでもわが名を呼べよ、我必ず汝を救おう」と教えられています。弘法大師の教えを信じ、お経を信じて一念にお願いしてみましょう。

観音さまについて

観音とは

観世音菩薩とか、観自在菩薩というのが正しく、それは、人々の救いを求める音「声」に応じてすぐに救うとか、自由自在に人々を救うもの、という意味をもつ。この世でのあらゆる不幸から我々を守り、幸福を授けてくれる慈悲深い仏さまのことである。

六観音とは

人々の願いに応じて、いろいろな姿になってあらわれるので、そのあらわれ方の代表的なものとしての六つの観音さまのことをいう。

聖観世音菩薩

救いを求める人々の願いに応じて千変万化する。その変化する前の観音さま。観音のもととも言える。最も正しく、最も代表的な観音さまである。普通は一面二臂(頭が一つで腕が二本)のやさしい顔をした単純なお姿をしている。

千手観世音菩薩

すべての願いに応えるために、たくさんの手「ふつう十六本、四十本、四十二本」を持っている観音さまである。

十一面観世音菩薩

どちらの方角にいる人が救いを求めても応えられるようにと、十一の顔を持っている観音さまである。

馬頭観世音菩薩

馬に乗って四方の敵を蹴散らすように、馬が牧草を食べ尽くすように悩みや苦しみから我々を救ってくれる観音さま。頭上に馬の頭をのせたお姿をしている。

如意輪観世音菩薩

輪のようにどこまでも転がって行って、思い通り(如意)に人々の願いをかなえてくれる観音さま。普通六臂(六本の腕)の坐像のお姿をしている。

准胝観世音菩薩

「准胝とは、何物にも染まらない清浄」という意味をもっている。この清らかな観音さま、胎蔵界においては蓮華部の仏母にあたり、その施す徳は、はてしなく広く、つまり人間界の善悪を問わず、すがればお救いくださるという。

霊場メモ

観音とは

観世音菩薩とか、観自在菩薩というのが正しく、それは、人々の救いを求める音「声」に応じてすぐに救うとか、自由自在に人々を救うもの、という意味をもつ。この世でのあらゆる不幸から我々を守り、幸福を授けてくれる慈悲深い仏さまのことである。

△このページの先頭へ