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さぬき三十三観音霊場の紹介
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長曽我部西光寺合戦の寺
文和三年沙門良円が開基。
南北朝時代、勝賀城十代目の城主香西家資が京で戦死。
その後継ぎとして、弟の資邦と、その幼子五郎とが争い、月見の宴で五郎が殺された。
憤死した五郎の母の霊を慰めようと、勝賀城の天守閣に安置してあった十一面観音を本尊として建立したものである。
長曽我部の戦火で焼失したが、慶長十九年増秀阿闍梨によって再興されて、現在に至っている。
アクセスガイド
住 所
〒761-8012 高松市香西本町377
電 話
参拝時間
8:00~17:00
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